【音楽ジャンル】ラグタイムとは?【歴史編】
今回はこのような疑問にお答えする内容です。
今回はPart3として、ラグタイムの具体的な歴史について解説していきます。
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- 1. ラグタイムの祖先は?
- 2. ラグタイムのはじまり
- 3. マーチをベースにしたスタイル
- 4. ラグタイムのヒット作
- 5. Scott Joplinの活躍
- 6. ジャズにも影響を与えたラグタイム
- 7. 録音技術が普及する前に全盛期を迎える
- 8. ラグタイム全盛期
- 9. ヨーロッパでも大人気になったラグタイム
- 10. Jelly Roll Mortonとスパニッシュ・ティンジ
- 11. ノベルティラグ(Novelty Rag)
- 12. ストライドピアノ
- 13. 他のジャンルでもラグタイムの要素が取り入れられる
- 14. ラグタイム楽曲のアレンジ版も作られた
- 15. ラグタイムギター
- 16. ラグタイムのリバイバル(復活)
- 17. Scott Joplinのオペラ
- 18. 映画の楽曲にもラグタイムが使われるようになる
ラグタイムの祖先は?
ラグタイムは、19世紀後半のアフリカ系アメリカ音楽を起源としており、アフリカ系アメリカ人バンドによって演奏されていた「ジグピアノ」や「ピアノサンピング」と呼ばれた、ジグ(Jig)やマーチなどを祖先としています。
ジグ
20世紀に入るまでには北アメリカ中で人気になっており、よく聞かれ、ダンスやパフォーマンスにも使われ、多くの異なるサブカルチャーの人たちによって作られるようにもなりました。
「アメリカ音楽」として、ラグタイムは「アフリカのシンコペーション」「ヨーロッパのクラシック音楽(特にJohn Pfilip Sousaのマーチ)」を融合させた音楽といえるでしょう。
ちなみに、ラグタイムの前は「ケークウォーク」という、いわゆる「親戚の音楽ジャンル」がありました。
初期のラグタイムは「マーチ」とされていることもあり、1890年代中盤の間は「ジグ」と「ラグ」は同じ意味として使われていました。
ラグタイムのはじまり
ラグタイムはもともと、アメリカのセントルイス(中西部)の街にあったアフリカ系アメリカ人のコミュニティではじまったものです。
ケンタッキー出身のBen Harneyが「You’ve Been a Good Old Wagon But You Done Broke Down」を書いたことにより、ラグタイムは一気に人気を集めていきました。
この楽曲は、同じくラグタイムの名曲であるErnest Hoganの「La Pas Ma La」の数ヶ月後に発表されました。
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マーチをベースにしたスタイル
またラグタイムは、John Philip Sousaによってマーチのスタイルを変化させて作られたこともありました。
アフリカ音楽の特徴でもある「ポリリズム」のテクニックを用いていたのが特徴です。
ラグタイムのヒット作
1885年になると、黒人のエンターテイナー・Ernest Hoganが、2つのラグタイム初期の楽譜を出版します。
そのうちの1つは「All Coons Look Alike to Me」で、のちに100万部を売り上げるほどのヒット作でした。
もう一つは「La Pas Ma La」で、こちらもヒット作となりました。
いわゆる「しっかり確立されたラグタイム」が出現したのは1897年と言われており、この年は初期ラグタイムにおいてとても重要な楽曲たちがリリースされた年でした。
1989年になると、Scott Joplinが「Maple Leaf Rag」をリリースし、初期のラグタイムよりもより洗練され、ラグタイムの深みを表現した大ヒット作となりました。
このころのラグタイムは、初期のジャズに大きな影響を及ぼす音楽ジャンルの一つでした。
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Scott Joplinの活躍
ラグタイム作曲家のScott Joplinは「Maple Leaf Rag」を1899年に発表すると一気に有名になり、今でも愛され続ける名作「The Entertainer」を1902年に発表。
しかしながら、一部のラグタイム愛好家の間を除いて、彼は人々に忘れ去られていってしまいます。
これは、1970年代前半のリバイバル(再度人気を集めること)まで続きました。
The Entertainerの発表後少なくとも12年は、「Maple Leaf Rag」はメロディーラインやコード進行、メトリックパターン(拍節法)において、多くの構成のラグタイム作曲家に影響を及ぼしました。
拍節法:4/4や3/4、6/8など、拍子の捉え方を示す方法
ジャズにも影響を与えたラグタイム
ラグタイムは初期のジャズに影響を与えました。
例えば前述のJally Roll Mortonの影響は、のちのJames P.JohnsonやFats Wallerなど、Harlem Strideピアノスタイルを弾くピアニストたちへと続いていきます。
Harlem Strideピアノはジャズのピアノスタイルの一種で、ラグタイムプレイヤーたちにより誕生したスタイルです。
ダンスオーケストラは1920年から1930年の間、よりスムーズなリズムスタイルを採用していきます。
そして、のちに「ラグタイム」から「ビッグバンドサウンド」へと進化していきます。
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録音技術が普及する前に全盛期を迎える
ラグタイムの全盛期は、録音技術が普及する前に起こりました。
クラシック音楽のように、クラシックラグタイムは「楽譜に書いて伝わる伝統」であったため、レコードなどの録音やライブパフォーマンスを通して普及しているジャンルではありませんでした。
ラグタイムはピアノロール(紙に点を打って専用の機械で読み取って音を鳴らす)やプレイヤー・ピアノ(自動演奏するピアノ)によって広まっていたのです。
画像:ピアノロール(wikipediaより)
ラグタイム全盛期
ラグタイムは、アメリカのポピュラーミュージックとしての地位を瞬く間に確立していきます。
そして、「メインストリームポピュラーカルチャーにインパクトを与えた、最初のアフリカ系アメリカ音楽」となります。
Jelly Roll Mortonなどの著名なピアノストたちもラグタイムを弾き、ブラスバンドやダンスバンドでもラグタイムは演奏されるようになります。
また、W.C.HandyとJames R Europeが率いたバンドは、黒人・白人の「人種の壁」を打ち壊していきます。
ラグタイムの新しいリズムは、ダンスバンドの世界を変え、新しいダンスステップを生み出していきます。
これは、のちにショーダンサーのVernon and Irene Castleが1910年代に普及させていきます。
ポピュラーエンターテイメントにおけるダンスオーケストラの成長はラグタイムの成長に伴い、1920年代まで続いていきます。
ヨーロッパでも大人気になったラグタイム
ラグタイムはヨーロッパでも人気を博します。
太平洋を横断する船上オーケストラでは、ラグタイムもレパートリーの中に入れていました。
James R Europeの396th連隊バンドは、1918年のフランスのツアーでラグタイムをさらに盛り上げます。
Jelly Roll Mortonとスパニッシュ・ティンジ
ラグタイムとジャズが他のジャンルに取って代わられるまでは、Jelly Roll Mortonなど、ラグタイムとジャズをどちらも演奏するアーティストもいました。
ちなみに彼は「スパニッシュ・ティンジ(Spanish Tinge、直訳で「スペインの色合い」)」を採用し、楽曲にハバネラやタンゴのリズムを取り入れていました。
1920年代前半になると、ジャズはラグタイムを抜いて人気となっていきます。
しかし、ラグタイムは現在も作られ続け、1950年代と1970年にはリバイバル(復活)も遂げています。
ノベルティラグ(Novelty Rag)
ラグタイム初期から続いていた「トラディショナル・ラグ」が人気を失っているとき、ノベルティピアノ(ノベルティラグタイム)と呼ばれる形式が新しく現れました。
トラディショナルラグタイムがアマチュアのピアニストや楽譜販売に頼っていた一方、ノベルティラグはピアノロールやレコード盤のテクノロジーを活用し、より華やかで複雑な、パフォーマンスをベースとしたスタイルでした。
著名なノベルティラグの作曲家には、1921年に人気となった楽曲「Kitten on the Keys」の作曲者であるZez Confreyが挙げられます。
ストライドピアノ
ラグタイムは、ストライドピアノのルーツも持っています。
これは1920年代から1930年代に人気となったスタイルで、より即興的なピアノスタイルが特徴です。
ストライドピアノ(ストライドは「またぐ」の意)↓
他のジャンルでもラグタイムの要素が取り入れられる
ラグタイムで使われている要素は、20世紀初期のアメリカのポピュラー音楽に見ることができます。
また、のちに現れるピードモントブルースの発展にも大きく貢献し、このジャンルのプレイヤーが弾くギターは「ラグタイムギター」とも呼ばれています。
(ピードモントはアメリカの東部から南部にかけて広がる丘陵地域)
ラグタイム楽曲のアレンジ版も作られた
ほとんどのラグタイムの曲はピアノ用に作られていますが、他の楽器やアンサンブルにアレンジされることもよくありました。
Gunther SchullerによるScott Joplinの楽曲アレンジなどは特に有名です。
ラグタイムギター
前述のラグタイムギターは1930年代まで人気が続き、よりギターの技術が必要とされるような楽曲で使われていました。
多くの楽曲が数カ所のレコードから発表され、Blind BlakeやBlind Boy Fuller、Lemon Jefferson、その他のアーティストによって演奏されました。
ラグタイムのリバイバル(復活)
1920年代に他の音楽スタイルがラグタイムに取って代わって以降、ラグタイムには何度かリバイバルがありました。
最初は1940年代初期。
多くのジャズバンドが、レパートリーとしてラグタイムを加えるようになったのです。
この時期、ラグタイムは78 RPMレコード(いわゆる”レコード”)でリリースされるようになります。
(エジソンがレコードを発明したのは1877年ですが、実用化・普及したのは1940年代後半です)
第2のリバイバル
次のリバイバルは1950年代に起こり、より多くのスタイルのラグタイムの楽曲がレコードで聞けるようになっていきました。
また、新しいラグタイムの楽曲も作られました。
1971年にJoshua RifkinがScott Joplinの楽曲を演奏したアルバムは、グラミー賞にノミネートされています。
The New England Ragtime Ensemble
1973年になると、The New England Ragtime Ensembleが「The Red Back Book」を発表。
これは音楽学校の学長だったGunther Schullerによって編集された、Scott Joplinのラグタイムの楽曲のコンピレーションアルバムです。
のちに、グラミー賞のベスト・チェンバー・ミュージック・パフォーマンスを獲得し、1947年のビルボードマガジンの「トップ・クラシカル・アルバム of 1947」にも名前が挙がりました。
Scott Joplinのオペラ
時折ラグタイムは、James Reese EuropeやIrving Berlinによって書かれた楽曲のように、アンサンブル(特にダンスバンドやブラスバンド)向けに作られることがありました。
Scott Joplinはラグタイムとオペラの世界を合体させるという長年の野望を持っており、実際に彼はオペラ「Treemonisha」を書いています。
しかし、この初公演でScott Joplinはピアノでうまく伴奏ができず、悲惨なステージになってしまったため、その後の彼の生涯で上演されることはありませんでした。
このオペラのスコアは数十年間行方不明になっていましたが、1970年に見つかり、1972年に再アレンジののち上演されました。
Scott Joplinの初期のオペラ「A Guest of Honor」のスコアは、未だ見つかっていません。
映画の楽曲にもラグタイムが使われるようになる
映画「The Sting(1973年)」では、ラグタイムをより多く認知してもらうために、Scott Joplinの楽曲を使用しています。
この映画で使われたMarvin Hamlischによるアレンジ版「The Entertainer」は、1975年のトップ5に輝きました。
そして今でも、Scott Joplinをはじめとするラグタイムの楽曲は世界中の人々に愛されています
以上で「ラグタイム」の解説は終了です!
これまでのシリーズを全部ご覧いただいた方であれば、ラグタイムをより面白く聞くことができ、作曲においても楽曲分析が大きく捗るはずです。
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