【音楽ジャンル】ゴーゴー(Go-Go)とは?
どういう特徴や歴史があるの?
今回はこのような疑問にお答えする内容です。
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ゴーゴー(Go-Go)とは?
ゴーゴーは、アメリカのワシントンD.C.を起源としてファンクから生まれた、ポピュラーミュージックのサブジャンルの一つです。
1960年代終わりから1970年代終わりにかけては、ワシントンの大都市圏でこの場所独特の音楽スタイルとして人気がありました。
2020年には、ワシントンの「公式音楽」として認定されています。
このスタイルの発展に貢献した人物としては、Young Senators、ファンクバンドのBlack Heat、シンガー・ギタリストのChuck Brownなどが挙げられます。
Go-Goは基本的にはダンスホールミュージックとして扱われ、ライブにおいてはコールアンドレスポンスを強調して使う特徴があります。
1990年から2000年代にかけては、Go-Goでヒップホップの影響がより強く出るようになります。
しかし、ポピュラー現代R&Bの曲を取り入れた元のスタイルで演奏する「レトロブーム」の動きもありました。
「Go-Go」という名前の由来
「Go-Go」という名前の由来は、楽曲においてパーカッションが永続的にビートを刻んでいるところに由来します。
しかし実際のところ、このような要素は他のジャンルでも見られるので、Go-Goにしかないパーカッションやビートがあるというわけではありません。
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Go-Goの具体的な定義や音楽的な特徴
Go-Goは、ローファイパーカッション(LoFi Percussion)やファンクのスタイルのジャミング(Jamming)を取り入れた、ファンクのサブジャンルであることが特徴です。
そのため、サンプリングを使って制作されることもあります。
サンプリング:別の楽曲のほんの一瞬を切り取り、それを組み合わせて新しい楽曲を作ること
また前述の通り、ライブのオーディエンスがコールアンドレスポンスをすることに重きを置いたダンスホールミュージックでもあります。
リズムの特徴
Go-Goの基本ビートは、シンコペーションや付点を伴う音符を連続させているところが特徴です。
例えば「4分・8分・4分・休符・4分・8分・4分)」などを、バスドラムやスネアドラム、ハイハットなどによって強調しながら、他の打楽器(特にコンガ、ロートタム、手持ちカウベルなど)で装飾音を入れていきます。
Go-Goのドラムのパターン
Go-Goのコンガのパターン
ロートタム(Roto Toms)
シェルがなく、本体をそのまま回転することによってピッチを調整する楽器です。
ジュニアコンガ
Go-Goで特徴的なのが、スタンダードなコンガ1セットと「ジュニアコンガ」を1セット使う点です。
ジュニアコンガは、スタンダードなコンガより半分の高さしかありません。
Go-Go以外で、このサイズのコンガを使うのは非常に珍しいです。
ワシントンのバンド「Rare Essence」がまだフルサイズのコンガを買う余裕がなかった時代に、Tyrone “Jungle Boogie” Williamsが彼らにこの楽器を紹介したところからこの楽器が使われ始めました。
ジュニアコンガでは、スイングのリズムを感じさせるようなビートを叩きます。
Go-Goの歴史
ここからは、Go-Goの生い立ちをじっくり解説していきます。
Go-Goの始まり
Chuck Brownが「Go-Goのゴッドファーザー」と呼ばれていますが、Go-Goは一人の人物だけで語れるジャンルではありません。
多くのバンドが、現代における Go-Goと呼ばれるスタイルで演奏していたからです。
例えば以下のアーティストたちは、プレ・Go-Go時代にソウルミュージックを演奏していました。
Black Heat
Experience Unlimited
Vernon Burch
Sir Joe Quarterman & the Free Soul
the Moments
Ray,Goodman & Brown
True Reflection
the Unifics
Peaches & Herb
Terry Huff & Special Delivery
the Dynamic Superiors
Skip Mahorny & the Caduals
the Choice Four
the Fuzz
1960年代中盤になると、Go-Goという言葉がアフリカ系アメリカ人のコミュニティのクラブを意味する言葉として使われるようになります。
当時は、ミリオンセラーを出したthe Miraclesの同名のヒット曲によって人気を集めた「going to go-go-」という言葉がよく使われていました。
ダンサーたちは、Chuck Brownを含むローカルのファンクソウルバンドによって演奏される20もの最新のヒット曲TOP40を一度に聞くことができました。
1965年になると、Young Senators(「Go-Goの帝王」としても知られる)が結成され、ローカルのクラブでChuck BrownやBlack Heatと並ぶアーティストとなりました。
彼らはのちに、ヒット曲「Jungle」をリリースします。
Chuck Brownは、1966年までは彼のバンド「Los Lotionos」と共に、アメリカのMarylandにおけるミュージックシーンの定番でした。
1970年代中盤までには、グループ名を「The Soul Seachers」に変え、レイドバックや、今の曲と次の曲を混ぜてパフォーマンスするヘビーなリズムが特徴的なファンクのスタイルを発展させました。
(後者は、ダンスフロアで踊っている人たちをそのまま踊らせられるように使われました)
ビートはGrover Washington Jrの楽曲「Mr.Magic」をベースにしていますが、彼自身はインタビューで「BrownもWashingtonも、黒人教会で見つけたゴスペルのビートを採用している」と答えています。
ワシントンD.C. ファンクの初期の全米チャートに変化が出始めたのは、1974年Atlantic Recordsから出したBlack Heatのセカンドアルバムに収録されている、Billboard TOP100入りを果たした「No Time To Burn」がリリースされた頃です。
彼らはEarth Wind & FireやParliament Funkadelic、Ohio Players, The Commodoresなどのように、ツアーを周り始めます。
1976年になると、若きDJのJames FunkがRare Essenceというバンドを組み、同様の音楽をプレイするようになります。
1970年代
Chuck Brownとthe Soul Searchersは、1978年に最初のGo-Goヒット曲「Bustin’ Loose」をリリース。
Billboard Hot R&B/Hip-Hop Songs R&Bチャートで1位を獲得し、1ヶ月間このランクをキープするほどのヒット曲となりました。
Experience Unlimited(EU)は1974年に結成されたロックに影響を受けたバンドです。
1970年代終わりごろにRare Essenceの活躍を見たあとは、Go-Goビートを取り入れて自身のスタイルを変更します。
Kurtis Blowの「Party Time」はGrace Jonesの目に留まり、「the King of Go-Go Production」とも言われるMax KiddをIsland Recordsと共に世界進出し、ヨーロッパでは1988年の映画「School Daze」のサウンドトラックである「Da Butt」で第1tします。
Trouble Funkは「Trouble Band」と呼ばれる、1970年代のTOP40カバーバンドにルーツを持っているバンドです。
1970年代終わりには、Chuck Brownの演奏を見てGo-Goスタイルのビートを取り入れるようになります。
彼らは1982年にSugar Hill Recordsと契約をし、Kurtis Blowとも楽曲を制作しました。
1980年代
1980年代は、Chuck BrownやTrouble Funk、EU、Rare Essence、Hot Cold Sweat、The Junk Yard Band、AM/FM、Redds and the Boys、Slug-Goがローカルのシーンで成功しました。
Trouble Funkは当時力を持っていたレーベル「Sugar Hill」と契約する前、アメリカ・ニュージャージーを拠点とするレーベル「Jamtu」で曲をリリースしていました。
Sugar Hillでは「Drop the Bomb(1982)」などをリリースしており、このLPにはすでに何年も前からヒットしていた「Pump Me Up」を収録しています。
Maxx Kiddは1982年にGo-Goのレーベル「T.T.E.D Records」を設立します。
1984年になると、Island Recordsの創設者Chris BlackwellがChuck Brownの「We Need Some Money」をニューヨークのラジオで耳にし、のちにGo-Goで最も輝くスターたちと契約を結ぶこととなります。
Blackwellは数々のアーティストと契約を結びながら、彼は「The Harder They Come」をワシントンD.C.をベースにしたバージョンなど、Go-Goの映画とサウンドトラックも作りたいと考えていました。
これは結果的に「Good to Go」という映画になりましたが、ここでは問題がありました。
共同監督のDon Lettsは制作途中で投げ出し、映画は音楽に関する要素が少なく、ドラッグや暴力などの要素が多くなってしまい、ポストプロダクションが1985年の秋に完了していたのにも関わらず、映画は1986年の夏の終わりまで保留となっていました。
この映画のサウンドトラックは1986年にリリースされます。
この頃、Club NouveauやLebert、Midnight Starなどのソウル・ファンクのグループはGo-Goビートを彼らの楽曲にも取り入れるようになります。
The Junk Yard Bandは1980年に、ワシントンD.C.のBarry Farm出身の子供によるグループとして結成されました。
楽器を買うお金がなかったため、彼らはからのバケツや交通用のコーンをドラムとして、ブリキ缶をティンバレスとして、おもちゃの管楽器をブラスセクションとして使い演奏していました。
だんだんと本物の楽器を使うようになり、1985年までにはワシントンD.C.でも最高ランクのバンドに成長。
そして、1986年にはRick Rubinがプロデュースした「The Word」をリリースしたDefJamによって見出されます。
ここから1~2年経たないうちに、B面の「Sardines」はグループの代表曲となります。
E/Uは1986年にSpike Leeのデビュー映画「She’s Gotta Have It」の祝賀パーティーで演奏してほしいと頼まれた際、休暇を取ることを決めます。
Leeはこれを気に入り、次の彼の映画「School Daze」に出演するよう依頼します。
「Da Butt」はBillboardのR&Bチャートで1位となり、グラミー賞にもノミネートされます。
彼らがさらに成功することを望み、1989年にはVirgin Recordsで「Livin’ Large」をリリース。
アルバムに収録されている「Buck Wild」「Taste of Your Love」はどちらもBillboardのR&B/Hip-Hopシングルチャートにランクインしますが、「Da Butt」と同じほどのヒットには至りませんでした。
次のアルバム「Cold Kickin’ It」は翌年にリリースされますが、全米チャートで印象を残すことはできませんでした。
E.U.はジャズ・ゴスペルシンガーのMaiesha Rashadと提携し、「Maiesha and the Hip Huggers」名義で復活します。
彼らはB.B.KingのBlues ClubやGrill、DAR Constitution Hall、Black Family Reunion、D.C.’s Stone Soul Picnic、Unifestなどのイベントやコンサートでヘッドラインとなり、1988年にはR&BシンガーのJesse JamesとFay Marshallと共に、ソウルのシングルを出します。
1990年代〜2000年代
時が経つにつれて、Go-Goはヒップホップの影響をより受けるようになります。
D.C. Scorpioなどの初期のMCたちは、1996年にインディーズで「Let Me Clear My Throat」をリリースしたDJ Koolに取って代わられていきます。
彼はDJ Mark the 45 Kingの「The 900 Number」をサンプリングしたサウンドをベースにし、American Recordsに見出され、1997年にはGo-Goの最後のヒットシングルとなる楽曲をリリースします。
Go-Goにおけるヒップホップの要素が増えてくると、音楽的なアレンジの複雑さは少なくなっていきます。
かつてはホーンセクション(主にサックス、トランペット、トロンボーン)や複数のギタリストをフィーチャーさせながらパーカッションもたくさん使っていましたが、この時代のGo-Goバンドはキーボードとパーカッションだけのシンプルな編成を使っていくようになります。
また、この時代はジュニアコンガの代わりにプラスチック製のウッドブロック使うようになります。
しかし2000年代になると、Northeast GrooversなどのR&Bのポピュラーな楽曲をカバーする、Go-Goのオリジナルスタイルに回帰するレトロムーブメントが起こります。
そして、この時代には多くのバンドが25歳以上のオーディエンスにアピールすることを意味する「Grown ’n Sexy」という単語を使い始めます。
他ジャンルとの融合・転身
また、Go-Goのアーティストたちの中には、俳優、オンラインマガジンの編集者、YouTubeチャンネルなど、様々なシーンに転向していく人も出てきました。
さらに、Go-Goの要素を他の音楽シーンと融合させるアーティストも出てきます。
ジャズ・ロックミュージシャンのMike Dillonはバンド「Go-Go Jungle」を率いており、Go-Goのビートとラップをファンクやジャズ、ロックのサブジャンルと融合させたノンストップ&長いセットを演奏しています。
Yellowjackets’ 2003あkらリリースされたBob Mintzer作曲の「Go Go」もこの例にあたります。
作曲家のLiza Figueroa KravinskiはGo-Go Symphonyを作曲し、Go-Goやバウンスビートとフルオーケストラのサウンドを融合させた楽曲を作ります。
彼女は「Go-Go Symphony Ensemble」という名前のチームを作り、Go-Go SymphonyやGo-Goとクラシックをマッシュアップさせた楽曲をプレイし、時にはフルオーケストラと連携することもあります。
2010年代~2020年代
2000年代終わりから2010年代前半は、ワシントンD.C.と、隣接するメリーランド州において、Go-Goバンドやローカルの会場にとって、コンサートを開催することが難しくなりました。
コンサートやバンドは、暴力のきっかけとなるとみなされていたからです。
新しいGo-Goミュージックは今でも作られていますが、前述のコンサート・ライブ開催が難しくなったため、ローカルに留まってしまいます。
しかしほとんどの会場は閉鎖されており、一部の居住者は町の「高級化」のため、多くのアフリカ系アメリカ人居住者を以前の低所得地域から追い出す動きもありました。
例えばShawという地域では、1970年には人口の11%が白人でしたが、2015年には62%に上がっています。
一部の新しい居住者の中には、Go-Goを受け入れ、地元民もGo-Goが反映し続けることを願っているところもあります。
ある新しい居住者が町の騒音に関してクレームを入れた後は、Go-Goパフォーマンスを伴うパーティーの制限にもつながりました。
Go-Goにとっては厳しい時代ではありましたが、2020年2月には、Go-GoがワシントンD.C.の「オフィシャルミュージック」として認定されました。
以上でGo-Goの解説は終了です!
当サイトでは他にもGo-Goに関係する音楽ジャンルについてまとめていますので、ぜひこちらもご覧ください↓
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