【音楽ジャンル】ファンク(Funk)とは?どんな音楽?【1980年代後半〜2000年代編】
ファンクにはどんな歴史があるの?
このような疑問にお答えする内容です。
今回はPart12(最終回)として、1980年代後半〜2000年代のファンクについて解説していきます。
Part6: ファンクにおけるボーカル・歌詞・ホーンセクションの特徴
Part8: ファンクの歴史(1960年代、James Brownの活躍)
Part9: ファンクの歴史(1960年代後半〜1970年代前半)
Part10: ファンクの歴史(1970年代、ジャズファンク)
ファンクは音楽的にも歴史的にもとてもおもしろいため、このシリーズは長編になっていますが、読み進めれば必ずどこかで面白さがわかってきます!
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他ジャンルに圧倒されるファンク
この頃になると、ヒップホップやコンテンポラリーR&B・ニュージャックスイングが台頭したことにより、ファンクはラジオ業界から追い出されてしまうこととなります。
Steve ArringtonやCameoなどのアーティストたちはなおラジオで流されることはあり、世界的にもファンを維持し続けていました。
ロックとの融合
また、ロックバンドがファンクの要素をコピーし始めたことにより、「ファンクロック」「ファンクメタル」などの新しい組み合わせが誕生しました。
特にRed Hot Chili Peppersなどを筆頭とする以下のアーティストたちは、ファンクの先駆者たちから得たスタイルを取り入れ、1980年代中盤〜後半にかけて人気を集めました。
Red Hot Chili Peppers
Living Colour
Jane’s Addiction
Prince
Primus
Urban Dance Squad
Fishbone
Faith No More
Rage Against the Machine
Infectious Grooves
Incubus
これらのバンドは、1990年代中盤のアンダーグラウンドにおけるファンクコアのムーヴメントや、下記のような当時のファンクにインスパイアされたアーティストたちに影響を与えました。
OutKast
Malina Moye
Van Hunt
Gnarls Barkley
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Jamiroquaiの成功
1990年代になると、Me’shell NdegeocelloやBrooklyn Funk Essentialsなどのアーテイストや、Jamiroquai、Incognito、Galliano、Omar、Los Tetas、the Brand New Heavies などのアシッドジャズのムーブメントを起こしたアーティスたちが、ファンクの要素を強く用いたスタイルを最小していきます。
特にJamiroquaiはアルバム「Travelling Without Moving」で1,150万枚を売り上げ、世界的に成功を収めます。
しかし、他のアーティストたちは全盛期ほど商業的な成功には至りませんでした。
一方、オーストラリアやニュージーランドでは、SupergrooveやSkunkhour、the Truthなどのバンドがパブを回って演奏し、インストゥルメンタルなファンクのスタイルを続けていきます。
G-FunkとDr.Dre
1980年代終わり頃になると、ヒップホップのアーティストたちが、昔のファンクの曲をサンプリングして曲を作るようになります。
このサンプリングのうち、P-Funk(Part9で解説)は2番目に最もサンプルされる音楽スタイルでした。
また、昔のParliamentやFunkadelicの楽曲は、西海岸のG-Funkの基礎を形成することとなります。
G-Funkは「Gangsta Funk(ギャングスタ・ファンク)」の略で、西海岸の「ギャングスタ・ラップ」をもとに、1990年代初期に作られたヒップホップのサブジャンルです。
ギャングスタ(Gangsta):社会の底辺層の人々で、麻薬売人など違法な商売を生業としている人のこと
ヒップホップにおいて、ファンクスタイルのベースやリズムギターのリフを目立たせるスタイルは、実は珍しくありません。
G-Funkの元祖としても有名なDr.Dreは、George Clinton(Part9で解説)のサイケデリックファンクに強く影響を受けています。
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Digital Underground
アメリカのオルタナティブヒップホップグループ「Digital Underground」は、1990年のファンクの再興に大きく貢献しています。
彼らは自身のリスナーたちに、ファンクやファンクアーティストたちの歴史を伝えていたのです。
Geroge Clintonは、彼らをClintonのセカンドフルアルバムのタイトルにちなんで「Sons of the P」と名付けました。
Digital Undergroundは、ファンクのサンプルをふんだんに使ったデビューアルバム「Sex Packets」をリリース。
特にParliamentの楽曲「Let’s Play House」をサンプリングして作った「The Humpty Dance」は非常に有名になりました。
特にファンク要素の強かったアルバムは「Future Rhythm」ですが、こちらはクラブダンスミュージックの要素もより多く取り入れており、ヘビーなファンクドラムのブレイクをサンプリングしています。
ジャムバンド(Jam Band)とファンク
ファンクは1990年代終わりから2000年代のジャムバンドシーンにおいて、アーティストを特徴付ける要素としても使われていました。
ジャムバンド:即興をするロックグループ
たとえはPhiishは、1996年ごろからファンキーなジャムを取り入れるようになり、1998年の「The Story of the Ghost」では、ファンクに強く影響を受けた様子がうかがえます。
他にも、以下のアーティストはファンクから強く影響を受けています。
Medeski Martin & Wood
Robert Randolph & the Family Band
Galactic
Widespread Panic
Jam Underground
Diazpora
Soulive
Karl Denson’s Tiny Universe
Lettuce
バークリー音楽大学の卒業生で結成されたバンド「Lettuce」は1990年代終わりに結成され、これらのジャムバンドシーンに「ピュアファンク」が出現したような感覚をもたらしました。
バンドメンバーの多くは、前述のSouliveやthe Sam Kininger Bandのように、他のバンドにも参加しています。
Dumpstaphunkはニューオリンズの昔のファンクに基づいた音楽を制作しており、少しザラついた、重みがあり魂のこもった4パート編成のボーカルを採用しています。
このグループは「the New Orleans Jazz & Heritage Festival」の出演のために2003年に結成され、キーボーディストのIvan Nevilleとギタリストのlan Neville(yuumeinaNeville家出身)をフィーチャーしています。
またベースプレイヤーは2人おり、2011年には女性ファンクドラマーのNikki Glaspie(以前はビヨンセのツアーバンドメンバー)を迎えています。
Rare Funk 45s
1990年代中盤になると、ディープファンクコレクターズのシーンを中心とした「nu-funk」や「ファンク・リビバレスト(Funk Revivalist」のシーンになり、「Rare Funk 45s」のサウンドの影響を受けた、新しい要素を取り入れた楽曲をプロデュースしていくようになります。
(Revivalistは「信仰復興論者」の意味があります)
「nu-funk」とは1970年代のディープファンクバンドのサウンドを再現しよう・マネしようとしたスタイルで、「Rare Funk 45s」は「1945年ごろのサウンドっぽく聞かせたファンクのことです。
これらのうち有名なレーベルには、Desco, Soul Fire、Daptone、Timmion、Neapolitan、Bananarama、Kay-Dee、Trampが挙げられます。
いずれのレーベルも、楽曲は主に45 RPMレコード(いわゆるアナログレコード)でリリースしています。
また、彼らはレアファンクのDJたちに特化していながらもメインストリームの音楽業界にも参戦しており、Sharon Janeの「Late Night with Conan O’Brien」のように、テレビ番組のホストとしても活躍している人物もいます。
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他ジャンルとファンクを融合させたアーティストたち
アシッドジャズ・アシッドハウス・トリップホップ(Trip Hop)や他のジャンルとファンクを融合させたアーティストとしては、Tom Tom Club、Brainticket、Groove Armadaなどが有名です。
女性シンガーを用いたモダンR&Bと融合したファンクもあり、これにはBeyoncéやMariah Carey、Jennifer Lopez、AmerieやTamar Braxtonなどが挙げられます。
Beyoncéの「Crazy in Love」はthe Chi-Liesの楽曲「Are You My Woman」をサンプリング↓
Mariah Careyの「Get Your Number」はImaginationの楽曲「Just an Illusion」をサンプリング↓
Jennifer Lopezの「Get Right」はMaceo Parkerの楽曲「Soul Power ’74」のホーンサウンドをサンプリング↓
Amerieの「1 Thing」はthe Metersの楽曲「Oh, Calcutta」をサンプリング↓
Tamar Braxtonの「The One」はMtumeの楽曲「Juicy Fruit」をサンプリング↓
ファンクの再興とパンク・ラップトロニカ(Punk Laptronica)
2000年代から2010年代初期にかけて、Out HudやMongolian MonkFishなどのパンク・ファンクバンドは、インディーロックのシーンで活躍するようになります。
インディーバンドのRilo Kileyはロックっぽい様々なスタイルを採用し、「The Moneymaker」ではファンクと融合させたスタイルで制作しています。
また、Prince(Part11で解説)はのちのアルバム「The Everlasting Now」や「Musicology」「Ol’ Skool Company」「Black Sweat」などでファンクの再興を促していきます。
Particleはコンピューターやシンセサイザー、アナログ楽器のサンプル、ファンクの即興性や構成要素などを使用したデジタルミュージックを合体させたサウンドで活躍します。
ちなみに「Laptronica」はノートパソコンを意味する「Laptop」から来ている言葉で、パソコンを楽器として扱うスタイルをとった音楽のことです。
以上でファンクの特徴・歴史の解説は終わりです!
これまでの内容を踏まえて、ファンクの打ち込みや演奏を練習したい方にはこちらがおすすめです↓
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