【ラテン音楽】カリプソ(Calypso)とは?
どういう特徴や歴史があるの?
今回はこのような疑問にお答えする内容です。
1.概要編(カリビアンミュージックの定義、歴史、主な音楽スタイル)
2.メント(Mento)
3.カリプソ(Calypso)
4.スカ(Ska)
5.ロックステディ(Rocksteady)
6.レゲエ(Reggae)の概要・歴史
7.レゲエ(Reggae)の音楽的特徴
こちらのシリーズを読むとラテン音楽の知識が深まりますので、ぜひ最後までご覧ください。
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カリプソ(Calypso)とは?
カリプソはアフロキューバンミュージックの一種で、19世紀中頃にトリニダード・トバゴで誕生した音楽です。
リズムは西アフリカのカイソ(Kaiso)からきており、これはフランスが植民地としていた時代に、フランス領アンティルの支配者たちとその奴隷たちによってもたらされたものです。
カリビアンミュージックにおけるカリプソは幅広いジャンルを含んでおり、ベンナ(Benna)、メント、ドミニカ・ケーデンス・リプソ(ハイチの韻律やリズムをカリプソと混ぜたもの)、ソカ(soca)、カイソ(Kaiso)などがあります。
皆さんご存知、リトルマーメイドの楽曲「Under the Sea」はカリプソに影響を受けて作られた楽曲です。
カリプソの音楽的な特徴
カリプソはは非常にリズミカルでハーモニックなボーカルが特徴で、フランスのクレオール人に歌われたり、西アフリカで部族の記録を音楽・詩・物語で伝える「グリオ(Griot)」によって用いられることが多いです。
エクステンポ(extempo)
初期のカリプソはSans Humanitaeなどのジャズから影響を受けています。
「エクステンポ(extempo)」はその特徴の一つで、オーディエンスから与えられたテーマに沿って即興するものです。
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カリプソの言葉の由来
カリプソ(Calypso)という名前は、「Kaiso」と言う言葉から来ているとされています。
これはナイジェリアのエフィック語(Efik)で「Go On!(進め!続けろ!)」を表す「Ka isu」や、同じくナイジェリアのイビビオ語で同じ意味を持つ「kaaiso」があるためです。
また、トリニダード・トバゴの言葉では「昔のカリプソ」を表す「cariso」と言う言葉があります。
カリプソという言葉は1930年代に使われているという記録があります。
カリプソの歴史
カリプソは17世紀のトリニダード・トバゴで誕生したとされ、カリブ海諸島の砂糖農園で働いていたアフリカ彼の奴隷たちによってもたらされた、西アフリカのカイソ(Kaiso)やカンブーレイ音楽(Canboulay Music)から発展しました。
この奴隷たちは、故郷や家族との繋がりを剥奪され、お互いに話すことすらも許されていませんでした。
そのため、彼らはお互いのコミュニケーションを取る手段としてカリプソを使い、彼らの主人をあざわらったりしていました。
多くの初期カリプソは、「グリオ」と呼ばれる西アフリカで部族の記録を音楽・詩・物語で伝える人たちによって、フレンチ・クレオール語で歌われています。
カリプソが発展するにつれ、グリオも「シャンテル(chantuelle)」として知られるようになり、ゆくゆくは「カリプソニアン(Calypsonian)」と呼ばれるようになります。
現代のカリプソ
現代のカリプソは19世紀ごろに形成されており、仮面舞踏会の歌である「ラヴウェイ(Lavway)」、フレンチクレオールの「ベレア(belair, Bélé)」、カリンダ(棒術)で使われる「チャントウェル(Chantwell, Cariso)」など、異なる音楽スタイルを融合させています。
カリプソの初期の台頭は、カンブーレイのドラミングや仮面舞踏会の音楽など、トリニダード・トバゴの奴隷によるカーニバルの容認と密接に関わっています。
当時のフランス人はトリニダード・トバゴにカーニバルをもたらし、そのカーニバルではカリプソの大会も開催されるようになり、これによってカリプソの人気が広まっていきます。
そしてのちの1834年に奴隷制が廃止されると、さらに人気も高まっていきました。
カリプソの作品
最初にカリプソというジャンルが楽曲に使われたのは、1912年、Lovey’s String Bandがニューヨークへ渡ったときにレコーディングされたものです。
彼らの最初の楽曲は1914年に英語で歌われており、前述の作品は彼らの2つ目の作品となりました。
Jules Simもまた、ボーカルでカリプソの作品を発表しています。
第一次世界大戦時代のカリプソの楽曲の多くは、LoveyやLionel Belascoによって演奏されています。
また、この戦時中の経済状況の制限により、カリプソがその音楽スタイルや形式、フレージングを固めてきた「黄金時代」である1920年代後半から190年代前半の間は、作品が発表されませんでした。
ニュースを伝える手段
カリプソはトリニダード・トバゴでニュースを伝える手段として発展していきます。
政治家やジャーナリストたち、有名人たちがそれぞれの楽曲の内容を考え、多くの島人たちは「最も信ぴょう性の高いソース」として楽曲を聞いていました。
カリプソニアン(カリプソを演奏するミュージシャン)は政治的腐敗に反対するような内容を含め、島の生活に関するあらゆるトピックのニュースを歌詞を通して広めていき、言論の自由の限界を押し広げていきます。
やがて、イギリスの統治によって楽曲の検閲が強制されてしまい、楽曲の内容に支障をきたしてしまいます。
現代のヒップホップと同様に…
しかし、それでもなお様々な方法で楽曲の検閲者の目をすり抜けていき、カリプソは限界を押し広げていきます。
たとえば「ダブル・エンテンダー(もしくはダブル・スピーク)」はこのうちの一つで、ヒトラーによるドイツやポーランド併合などを非難すると同時に、イギリスによるトリニダード・トバゴの統治の仕方への批判もしていました。
他にも、性やスキャンダル、ゴシップ、皮肉、政治、ローカルニュースなど、カリプソニアンたちは今でいうヒップホップと同じように、クラシック・カリプソでこれらのトピックを歌詞に取り込んでいきました。
今日のヒップホップと同様、音楽は社会における道徳的な部分に怒りや衝撃を引き起こしていたのです。
Eduardo Sa Gomesの活躍
一方、Eduardo Sa Gomesという起業家は、初期のカリプソの普及において重要な役割を果たします。
Sa Gomesはポルトガルに移民でPort of Spain(トリニダード・トバゴの首都)で自身のローカル音楽と蓄音機の機材店を持っており、彼はここでカリプソを宣伝し、地元のアーティストたちに経済的な支援をしていました。
1934年の3月には、彼はRoaring LionやAttila the Hunなどのカリピソニアンたちを、レコーディングのためにニューヨークシティに送ります。
これにより、彼らは海外で初めてカリプソをレコーディングしたアーティストとなり、西インドを国外へ進出させ、カリプソをポップカルチャーにさせることができました。
Lord Invaderもすぐその後につづき、ニューヨークシティに滞在します。
彼はそこでWilmoth Houndiniと意気投合し、アメリカで有名なカリピソニアンとなります。
カリプソが世界的に人気に
最初にカリプソが世界的に人気になったのは1930年代終わり頃です。
Attlia the HumやRoaring Lion、Lord Invaderが最初に活躍し、その後にLord Kitchenerが続きます。
Lord Kitchenerは長きに渡るカリプソのスターで、彼が亡くなる2000年まで、ヒット曲を出し続けました。
1944年になると、Andrews SistersがLord Invaderの楽曲のカバー「Rum and Coca-Cola」をリリース。
当時のトリニダード・トバゴの米軍基地で起きていた売春やインフレ、その他の悪影響について批判していたこの楽曲でしたが、アメリカでヒットしました。
Belafonteのアルバム「Calypso」
Harry Belafonteによる1956年のアルバム「Calypso」は、アルバム全曲がカリプソの楽曲で、100万枚のセールスを記録します。
このアルバムの成功により、多くの「フォーキー(Foekie)」たちが刺激を受けたり、Belafonteスタイルのアメリカン・フォークミュージックのリバイバルが起こります。
しかしこれらはいずれも、よりフォーク要素の強いものでした。
たとえば、The Kingston Trioなどが挙げられます。
Mighty Sparrow
1956年には他にも世界的なヒット曲がリリースされ、例えばMighty Sparrowによる「Jeam and Dinah」などがあります。
この歌もまた、トリニダード・トバゴのChaguaramasにある米軍基地が閉鎖された後に広範囲で起きた売春や売春婦たちの絶望などを描いた曲で、カリプソニアンにとっての「行動計画」を意味した楽曲でした。
映画・ミュージカルとカリプソ
1957年のブロードウェイミュージカル「Jamaica」では、Harold ArienとYip Harburgが、Belafonteスタイルのカリプソを巧みにパロディー化します。
「Island in the Sun」などの映画ではBelafonteをフィーチャーしていたり、「Calypso Joe」や「Calypso Heat Wave」、「Bop Girl Goes Calypso」などの低予算の映画でも、カリプソブームに飛びついた作品があります。
様々なカリプソのアルバム
Robert Mitchumは、カリプソのサウンドやスピリットなどを絶妙に捉えたアルバム「Calypso…Is Like So」を1957年にリリース。
ビバップで有名なDizzy Gillespieは、James MoodyとKenny Barronとともに、1964年にカリプソのアルバム「Jambo Caribe」をリリースします。
Gary “US” Bondsは、Port of Spain(トリニダード・トバゴの首都)の軍事基地から帰ってきたすぐ後にカリプソのアルバム「Twist up Calyoso」を1962にリリースします。
スリランカ出身のNithi Kanagaratnamは、1968年にスリランカのタミルでカリプソスタイルの楽曲を披露し、「タミルのポピュラーミュージックの父」と呼ばれるほどになります。
スリランカの音楽の形態の一つ「バイラ(Baila)」がスリランカで人気であったことから、彼の楽曲は「タミル・バイラ」というジャンルに分類されています。
女性のカリプソ進出
1970年代中盤になると、女性アーティストもカリプソ業界に参入していきます。
Calypso Roseは、1977年にTrinidad Road Marchのコンテストで最初に優勝した女性で、「Gimme More Tempo」という楽曲で参加していました。
翌年は「Come Leh We Jam」で参加し、「Calypso King」コンテストで優勝、これは女性として初の快挙でした。
のちにこのコンテストの名前は彼女に経緯を表した「Calypso Monarch」へと変わりました(Monarchは「君主」という意味)。
エレクトリックミュージック業界にも
フランス人でエレクトリックミュージシャンのパイオニアであるJean Michel Jarreは、1990年に「Waiting for Cousteau」をリリース。
このアルバムの中には、カリプソの楽曲が4曲入っており、Jacques-Yves Cousteauの80歳の誕生日のために作られたものでした。
このアルバムには、トリニダード・トバゴの伝統的なスティールドラムバンド「Amocco Renegades」も参加しており、アルバムの1曲目「Calypso」でこのスタイルのサウンドを聴くことができます。
商業界で使われるカリプソの楽曲
カリプソは他にも商業界で注目されており、Tim Burtonのホラー・コメディ映画「Beetlejuice(1988)」ではBelafonteの「Jump In The Line」がサウンドトラックのヘッドライナーとして使われており、「The Banana Boat Song」はディナーパーティーのシーンで使われています。
ディズニー映画「リトルマーメイド」とカリプソ
また、ディズニー映画「リトルマーメイド」で有名な楽曲「Under the Sea」はカリプソをベースにした楽曲で、1989年にアカデミー歌曲賞、グラミー「最優秀楽曲賞映画」を受賞します。
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カリプソのリズム
カリプソで使われるリズムについては、これらの動画が参考になります。
以上でカリプソの解説は終了です。
次回は「東京スカパラダイスオーケストラ」でおなじみの「スカ」について解説します↓
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