【音楽ジャンル】ブルースとは?【1950年代のブルース編】

【音楽ジャンル】ブルースとは?【1950年代のブルース編】
ブルースって名前は聞いたことあるけど、どんな音楽かいまいちよくわかってないな…
ブルースにはどんな歴史があるの?

このような疑問にお答えする内容です。

今回はPart6として、1950年代のブルース(リズムアンドブルース、シカゴブルースなど)について解説していきます。

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移民と新しい音楽市場

1920年代に起きたカントリーブルースからアーバンブルースへの移り変わりは、相次ぐ経済危機や田舎に住む黒人たちを都心エリアに移住するブーム「グレート・ミグレーション」によって引き起こされました。

第二次世界大戦の後には、アフリカ系アメリカ人の多くが都会へ移住し始めた「第二のグレート・イミグレーション」が起こり、これが都会に住む黒人の人々の所得を大きく引き上げることになります。

そしてこの新しい移民たちが、音楽業界において新しい市場を作っていくのです。

リズムアンドブルース(R&B)の誕生

アフリカ系アメリカ人による音楽に対して使われていた「レース・ミュージック」という言葉は、「リズムアンドブルース(R&B)」という言葉に置き換わっていきました。

(レース・ミュージック=race musicは、黒人による音楽を黒人向けに販売するために、白人音楽と差別化するために使われていた言葉です)

このマーケティング戦略は、電子楽器やアンプを使った演奏、R&Bで使われているブルースのビートやブルースシャッフルの使用など、アーバンブルースのトレンドを強めていくこととなります。

こういった商業的な傾向は、R&Bの要素にもなっているジャズやゴスペルなどと共に、ブルースにとって非常に重要な結果をもたらしました。

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エレクトリック・ブルース

第二次世界大戦後、シカゴ・メンフィス・デトロイト・セントルイスなどの都市で生まれた「エレクトリック・ブルース」という新しいジャンルが誕生します。

エレクトリックブルースでは、主にエレキギター、コントラバス(のちにエレキベースに置き換わっていきます)、ドラム、ハーモニカ(もしくはブルースハープ)が使われ、これらをPAシステムやオーバードライブギターアンプなどを通して演奏していました。

ミシシッピ生まれ+シカゴへ移住してきたアーティストたち

Muddy Watersが彼の初ヒット曲「I Can’t Be Satisfied」を発表した1948年には、シカゴがエレクトリックブルースの中心となりました。

I Can't Be Satisfied

シカゴブルースは、デルタ・ブルースの影響を大きく受けた、アーバン・ブルーススタイルのブルースです。

シカゴブルースのアーティストたちの多くが、ミシシッピから移住してきているため、デルタ・ブルースから大きく影響を受けたのです。

Howlin’ Wolf、Muddy Waters、Willie DixonやJimmy Reedはミシシッピ生まれで、前述の「グレート・ミグレーション」の時代にシカゴに移住してきたアーティストたちです。

彼らのスタイルは、エレキギター、スライドギター(時々)、ハーモニカ、リズムセクションとしてベース、ドラムを使ったスタイルでした。

J.T.Brownなどのサックス奏者もブルースで演奏することもありましたが、当時のサックスはリード楽器というよりもリズムをサポートするための、バッキング要員として使われていました。

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シカゴ・ブルースで活躍したアーティストたち

ベーシスト・ソングライター・作曲家であったWillie Dixonは、シカゴブルースにおいて有名なプレイヤーでした。

彼は多くの「スタンダードブルース(多くの人に演奏・視聴され、高い評価を得たブルース)」の曲を作曲しました。

Hoochie Coochie Man、I Just Want to Make Love to You、Wang Dang Doodle、Back Door Manなどの楽曲があります。

Muddy Waters – Hoochie Coochie Man (Live)
I Just Want to Make Love to You
Wang Dang Doodle-Koko Taylor (THE BEST VERSION)
Howlin' Wolf – Back Door Man

シカゴ・ブルースのレーベル

This is the logo owned by Universal Music Group for Chess Records. Further details: Chess Records logo

多くのシカゴブルースの楽曲は、シカゴを拠点としたレーベル「Chess Records」や「Checker Records」でリリースされていました。

小さなブルースレーベル会社でいうと、Vee-Jay RecordsやJ.O.B Recordsなどがあります。

1950年代初期になると、支配的だったシカゴのレーベル会社たちは、Sam Phillipsによるメンフィスのレコード会社「Sun Records」と競り合い始めます。

しかしPhillipsが1954年にElvis Presleyを発掘すると、Sun Recordsは白人リスナーたちの間で一気に名を知らしめ、ロックンロールの楽曲も発表していきます。

1950年代になると、ブルースはアメリカのポピュラーミュージック(メインストリーム)に大きく影響を与えていきます。

Bo DiddleyやChuck Berryなどのポピュラーミュージシャンたちはシカゴブルースに影響を受けていながらも、ブルースの哀愁漂うスタイルとはかけ離れた、熱狂的な音楽スタイルが特徴的でした。

Zydeco – Louisiana Creole Cajun Music Blend

また、ルイジアナのザディコ(zydeco)にも影響を与えていきます。

これは20世紀初めにルイジアナの南西部で誕生した、フランス語を話す黒人たちによるフォークミュージックです。

ザディコのアーティストたちは、ブルースのスタンダードであるソロエレキギターとカホンを使っていました。

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イギリスのエレクトリックブルース

一方イギリスでは、前述にも出てきたMuddy Watersによるツアーが行われたおかげでエレクトリックブルースが高く評価され、現地でも根付いていきます。

Muddyたちは、それまでアコースティックでソフトなブルースサウンドを求めていたリスナーがいましたが、アンプを使い、エレクトリックブルースにおける「シカゴ・ブランド」を広めていきます。

そのため、リスナーの中には衝撃を受けた人もいましたが、Alexis KornerやCyril Daviesなど現地のアーティストに影響をもたらし、のちのRollins StonesやYardbirdsなどに影響を与えることにもなる、「ラウドなスタイル」をマネし始めるようになります。

Otis Rush ~ ''Double Trouble''(Original Recording Electric Blues 1958)

1950年後半になると、シカゴの西部において、Cobra RecordsにいたMac Sam、Buddy Guy、Otis Rushによる新しいブルースのスタイルが誕生します。

これは「ウェストサイドサウンド」と呼ばれ、リズムギター、エレキベース、ドラムによる強いリズム、そしてアンプを使った表現力豊かなエレキギターソロが特徴です。

Buddy Guy – Five Long Years
Freddie King – Have You Ever Loved A Woman

スワンプ・ブルース

1950年代後半になると、Baton Rougeによって作られた「スワンプ・ブルース」という新しいジャンルが誕生します。

スワンプ・ブルースはJimmy Reedの音楽に強く影響を受けており、Little WaterやMuddy Waterなどのシカゴブルーススタイルのアーティストたちと同様シンプルなハーモニカを使っており、ゆっくりなペースで演奏されるのが特徴です。

Experience the Soulful Sounds of Mississippi Delta Blues

このジャンルにおいては、「Scratch my Back」、「She’s Tough」や「I’m a King Bee」などが有名です。

Baby Scratch My Back
She's Tuff
I'm A King Bee

次回Part7はこちら↓

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